電波少年の『懸賞生活』のなすびが語るテレビの恐さ




いまから20年前くらいに放送されていた『進ぬ! 電波少年』というバラエティ番組がありました。そして『電波少年』が最後の本物のバラエティだったのかも知れません。それくらい面白かったです。あの当時はまだ、あんな馬鹿げた内容でも面白ければ許される時代でした。

そして、当時、電波少年には『懸賞生活』というコーナーがありました。懸賞生活とは、懸賞で100万円分当てるまで終わらないという企画であり、そしてそのコーナー担当になったのが当時若手芸人の『なすび』さんでした。なすびさんは丸裸になり、食べる物、きる物、生活必需品等を懸賞で手に入れて生活するといったものでした。

全裸で生活、そして手渡されたものはたくさんのはがきと筆記用具と乾パンだけ、そして部屋には定点カメラがセットされて、ビデオ撮影は自分でやる事になっていました。そして毎日、発売された雑誌が渡されて、その中から景品を選んで応募する、合えるのは関係者のみ外界との接触は一切ありませんでした。

あの当時のなすびさんは髪はボサボサでヒゲはボーボーでした。そして電波少年が終わって、なすびさんも外を歩けるようになると、一気に知名度が上がり町を歩いていても指を指されたり、握手を求められてたりしたそうです。

毎日、懸賞の手紙を書いて懸賞を当てるという名目の元に行われた「人がどれだけ孤独に耐える事ができるか」という事をテーマにしていたのでは無いかと言います。なすびさんは毎日、懸賞の手紙を書きながら自殺を考えるほど辛かったといいます。なすびさんの悲惨で過酷な生活をテレビを見ている達は、喜んで面白そうに見ている事に恐怖を感じるといいます。それは洗脳に近いものがあるのでは無いか?となすびさんはいいます。中世ヨーロッパの拷問に罪人を狭い部屋に押し込めて、ひたすら無意味な単純作業を繰り返すという拷問方法があります。罪人には次第に精神が病んで行く刑に近いものが合ったと当時の事を回想しています。

今では伝説となったテレビ番組「進め電波少年」ですが、今にない過激な内容でした。つい最近では、黄金伝説がそれに近いものがありましたが、電波少年を見て育った今のアラフォー世代にはチョッと物足りない物があるかも知れません。

なすびさんは東関東大震災で被災した福島県出身の芸能人です。震災以降、福島県の為に物産展に勝手に押し寄せてお手伝いをしたりしているそうです。いきなり芸能人が登場してお店の人もお客さんもビックリして大いに盛り上がるそうです。そして震災の復興の為にエベレストにチャレンジして、4回目でついに登頂に成功して福島の人達に元気を与えた事は記憶に新しい事で、皆さんも覚えていると思います。

電波少年という番組で知名度を上げた事で福島の人の役にたっていると思います。これからもなすびさんには頑張ってもらいたいと思います。




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